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フレッセ厚生市場概観

鹿児島を維新する、ビッグイベントを仕掛けたい!

「私がやってきた今までの『厚生市場再開発事業』の経験は、参考でしかない。それはすでに終ったこと。次の新しい目標があれば、それに向かって挑めば、また新しい知恵が湧き出て来るものです。そのとき、そのときの目標を持つことが大事です」と語る地域再開発のプロ・南さんの、鹿児島維新に賭ける夢を追う。

18年もの歳月をかけて「厚生市場」を再開発

旧厚生市場全景1988(昭和63)年に旧「厚生市場再開発推進協議会」が発足してから15年、鹿児島市商工振興課の「商店街診断」を受けてからだと、18年もの気の遠くなるような歳月をかけ、2003年8月に完成した鹿児島市の「フレッセ高見馬場」。鹿児島市の年輩の住民なら、高見馬場の「厚生市場」と言えば、知らない人はいないだろう。

終戦後の1949(昭和24)年、満州・朝鮮半島・台湾などからの引き上げ者たちが、当時の鹿児島市の有力事業家・上野喜左衛門(南国交通初代社長、1901~1971)の所有する土地に集まって開設した「厚生市場」は、鹿児島市の中心繁華街・天文館の西に隣接し、市立山下小学校を目前に、生鮮三品(野菜・肉・魚)を扱う「鹿児島市の台所」として親しまれた市場で、天文館の高級料亭や歴代の県知事・市長夫人が愛用する市場として知られ、高級生鮮食材を主に扱ってきた老舗市場だ。

しかし、再開発以前の「厚生市場」の概観たるや、老朽化も著しく、未だに戦後を引きずる面影すらあった。昭和半ばには 57軒の店舗で賑わっていたものの、「西千石町13番街区再開発事業」の認可を目指した当時、市街地再開発準備組合の事業着手時点では18店舗まで激減していた。

1993(平成5)年8月6日、台風13号の集中豪雨を受け、鹿児島市全体が水没するほどの大水害を被った以後、県・市・残存小売店舗・近隣住民全体が、災害時にも安心して買い物が出来る「厚生市場」への変身に期待を寄せ、施設再開発への気運がますます高まりつつあった。  

フレッセ厚生市場入り口に立つ南さんその「厚生市場」の地権者の中の小売店舗の一つ、青果店「南商店」の2代目、南省治さんが今回の主人公である。  南さんは今でも、全国の街興しのプロや都市再開発の行政担当者の間では、その個性と粘り強い底力に一目を置かれている存在。

南さんが40歳のころ、一念発起、自らのライフワークにしようと決意した「厚生市場再開発事業」は、終戦直後からの創業者、つまり南さんの親たちが、まず再開発に挫折し、南さんが40歳のころに、再び再開発の計画が持ち上がったものだった。

しかしその実態は、1949(昭和24)年の「厚生市場」開設当時からの、細分化された80名もの土地の共有者の存在、権利が転々と移転された末の全国にまたがる権利者まで含めると、総勢200名も権利者が存在していた。

南さんは、「再開発はもう出来ない!断念すべし!」「いや、絶対に出来るんだ!」との何百回もの紛糾し、賛否両論に別れる議論や、様々な苦渋を伴う代替案に対して、「再開発は楽しみながらやるもの」と説得し、残存店舗が継続営業でき、「鹿児島天文館の台所」としての本来の役割を果たすべきだという、当初からの再開発案を貫き通すものの、地権者全員の説得には難航を極め、苦難の途が続いた。

嫌がる地権者には絶対に無理強いしない手法で、「多くの問題を解決すべき再開発は、まずは人間開発。ガンにかかった街を大手術して、やり直そうという気持ちにまずなってもらうことが大切」と、お互いの気が乗った折を見計らって幾度と無く説得を続けた南さん。しかし、南さんも齢を重ね、髪に白いものが目立ち始めた58歳の晩秋、行政サイドでもすでに、「厚生市場再開発断念!」のあきらめムードが漂っていた。

「あと3ヶ月でまとめられないのなら、全てを打ち切る!」との最後通告を行政・銀行側から突きつけられた南さんは、「西千石町13番街区市街地再開発組合」の若い職員全員と一丸となって、夜討ち朝駆けで全国の地権者の最終説得に奔走した。

「永年、デッドロックに乗り上げた挙句の最終説得交渉は、それはもう凄まじい状況で、モノは投げられるは、怒鳴られるはの連続でしたが、若い職員も眠る間もなく、よく頑張って耐えてくれました。というよりも、みんな同じ目標達成に向かって燃えに燃えており、何をされても言われても、たいした苦にはなりませんでした!」と、南さんは笑う。  

フレッセ厚生市場正面玄関それまで、南さんは18年もの歳月をかけ、各地に点在する地権者一人一人を、陰でしっかりと支えてくれる愛妻と二人で訪ね歩き、心底納得してもらうまで、何度も何度も、そして一つ一つ、粘り強く地権者を説得してきた。

結果、永年の地域住民の悲願ともなった「西千石町13番街区再開発事業」は、02年2月既存建物除却に着工、翌年8月には、新高層ビル「フレッセ高見馬場」竣工に漕ぎ着けた。

18年もの歳月をかけて「厚生市場」の再開発をまとめ上げる過程では、南さんは常に、「自分の利益のために物事を進めようとしていないか」「厚生市場全体のために物事を進めようとしているか」と、判断に揺れる自らに、厳しくその自問を重ね続けた。その都度、「厚生市場全体の利益」に立つ側を、「本心からの、自らの善意に立脚した判断」として選択してきた。

「『厚生市場再開発』に対する多くの申し入れを、全て受け止めてその力を全て取り込んで来ましたが、本心からの善意に基けなかった協力者たちは、最終的には再開発から去っていきました」と語る、南さん。

現在南さんは、「フレッセ高見馬場」の1階の「フレッセ厚生市場」内で、小さな青果店舗を営むだけで、2階から上のマンションにも住んでいない。

総額58億円もの資金を要し、そのうち3分の1の公的な助成を得ながらも、「厚生市場」から「フレッセ高見馬場」への再開発事業を、中心となって捨て身で実現した南さんは、現在はその人物と手腕を買われて、鹿児島県青果食品小売商組合連合会・同市中央卸売市場青果食品協同組合の理事長を、兼務している。



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