高山市国府町のペンション風ウッディハウスにお住まいの芸術家、弓削義隆・陽子夫妻を訪ねた。
弓削夫妻は、東京の武蔵野美術大学の杜で大恋愛の末結ばれ、夫妻ともども九州が故郷ながら、異郷の地・飛騨高山にIターンを果たして、30年近くの時が流れた。
「なぜ、高山に住もうと思いついたのか」の問いに、義隆さんは、「当時、東京は物価高で家など建てられないと思ったし、幼少のころ遊んだ故郷の鹿児島の海も埋め立てられ、昔の自然は残っておらず、学生のころから何度か遊びに来ていた飛騨高山には自然がそのまま残されていた。高山に移り住む前に体験した、南米での素朴で粗食に甘んじる半年間の生活体験も決意のきっかけとなった」と語る。
当時、神奈川の平塚に住んでいた陽子さんは、「当時は、どんなところだろうかと、飛騨高山を下調べに訪れたくらいでした。以前にインドとネパールを旅行し魅力を感じていたので、日本のネパールだと思えば、まっ、いいか!と(笑)。陶芸の窯なども、広い田舎のほうが相応しいのでは」と、高山移住に合意したという。
20年前から、高山駅から車で30分離れた郊外の国府町に住むようになってからは、陶芸の窯小屋、家庭菜園、ぽころこアートスクールの子供たちとのツリー・ハウスでの遊びなど、街中とは違って活動範囲が大幅に広がったと義隆さんは語る。
当時、義隆さんは、飛騨の清流に岩魚を追ったりするときも、妻陽子さんの願いでもある、陶芸のための日当たりのいい場所を探し求めていたが、最高のロケーションを発見。
そこは高山市方面に向けて国府町一帯を見渡せ、宮川が流れる源流方向、高山市の遙か遠方に乗鞍岳を臨み、毎朝乗鞍岳から昇る朝日を拝めるという、「国府町で最初に朝日の当たる絶景の地(現在住んでいる場所)」を見つけ出したのだ。