早速、大農家の地主さんに相談、交渉三回目には、陶芸など作品集を携えて地主さんを訪ね、目的の地は日当たりが良く陶芸には最適の場所であることなどを話すと、どうしても先祖代々の土地は売れないが、「これも縁だからと、貸すので良ければ何とかしよう」ということで、理想の場所の借地が決まったという。
「作品や農産物など、同じモノを作り出すもの同士の気心が通じることもあったのだろうと思うし、いい地主さんに恵まれたことが、幸運だったと思います」と語る弓削夫妻。
また、地元に溶け込むことが最も大切だとも語る。
「まだ幼かった子供なども地主さんに紹介し、本当にこの土地で地元の人々とともに生きていこうとしていることを汲み取ってもらえたことが、何よりでした。地元の冠婚葬祭、道普請、用水の掃除、河川の草刈や祭りの雅楽の稽古など、集落の行事にも、主体的に参加するように努めてきました。私たちの暮らしぶりは、どこからでも見えるガラス張りのようなロケーションですから、お付き合いしていく中で、追加お借りした家庭菜園用の何百坪もある畑での農作業やお互いのおすそ分けの風景など、すべてオープン、開放的に地元の人々とお付き合いできたことが、良かったのかなと思います」
弓削夫妻にとって、芸術家を気取って、地元の人々との間にバリアを作ってしまうことなど微塵も無かった。逆に進んで地元の人々とお付き合いしようと努める弓削夫妻だからこそ、地元のコミュニティも受け入れてくれたのだろう。
一斉に定年を迎え始める団塊世代の隣接世代でもある義隆さんとその妻陽子さんは、「高山は暮らすに素敵なところ。美大生のころからの縁で、劇団(状況劇場や新宿梁山泊など)が公演し、薪窯での陶芸や絵画、自家用の燻製、家庭菜園の食材を使ったお料理、飛騨温泉郷、春秋の高山祭りなど、多くの自然と刺激的なイベントを体験できるので、団塊世代の方々には特にのんびり遊びにいらして欲しい」と、団塊世代、中高年世代向けの楽しい企画も実践中。