萩原勝義 著 補筆・構成 萩原彰一
2009年8月15日(土)終戦記念日 刊行予定
2009年8月12日(水)からの配本開始を予定いたしております。
初版限定発売部数 300部
定価2,625円(本体価格2500円+税125円)
海兵団に居るとき一番辛かった事はと問えば、90パーセントの兵は「カッター」と答えるだろう。
「カッター」とは、手漕ぎのボートの事でこの訓練は誠に辛い。
士官も下士官も航空兵も水兵も、海軍軍人たるもの皆等しくこの関所は通らねばならいのである。
この訓練こそ海軍魂の伝統を受け継ぐもので、手心なぞ一切加えられない。みんな一日でへばってしまう。
始める前に教班長が手取り足取り丁寧に教えてくれるが、大きいの、小さいの、のろまな奴、海を初めて見る奴、様々だから上手く行く筈がない。
「ピッ、ピッ、ピーッ!」
ホイッスルに合わせ様にも、楷と楷とがぶつかりあい、絡み合い、楷が水の上を滑って艇座から転げ落ちる奴。もうメチャクチャだ。
「楷上げ!」とは、楷を水中から浮かして水平に保つ。
「いいか、後ろに倒れながらニギリ、巻き込む様にする。腰は浅く掛け、ツマ先は前の座席をしっかり押す。下腹に力を入れて、一杯に腕を前に出したら、すばやく水を楷先きで掴め。こうするのだ、良く見ろ!」
なるほど、班長ともなれば上手いものだ。しかし我々にはそう上手くいかない。
班長は水を捕らえてと言うけど、こちとらは水に楷を取られて楷が棒立ちしている。なんとも情けない話だ。こんな事をしているうちに、手には豆が出来る、尻の皮は剥けて、白鉢巻きの勇ましい顔が、汗だらけの泣顔に変わって来る。
やがてホイッスルの音が止み、各自が自由に漕ぐ。要領の良いのがまったく力を抜いて漕ぐ真似をしている。海千山千の班長が見逃す筈はない。
「6番! 貴様のオールは水を掻いて居ない! 9番! 貴様もだ!」
と爪竿(ボートフック)が飛ぶ。こうしてやっと一日が終わる。
誰一人声を出す者もいない。
「いいか! 今日は初めてだ。カッターというものが、どんなものか分かったか? お前たちは長い海軍生活で、このカッターとは切っても切れない生活をするのだ。この次はもっと上手くなっている筈だな」
週2回~3回のカッター訓練は教えるのではなく、叩き込まれるのだ。
トイレに行ってもしゃがめない。それでも覚えねばならない。
要領を掴めば若者だけに上達は早い。カッターが一人前漕げる様になった頃は、もう卒業まで、3分の1位に成っていた。
それから他班との競艇が何回となく行われる。
勝つのが当たり前で、負けるなどとは、以っての外の論外である。海軍の辞書には「負け」という字はない。
タッチの差位ならいざ知らず、何艇身も差を付けられたとあっては、先ず確実に夕食にはありつけない。
アゴと尻から海軍魂を叩きこまれ、残念無念の思いをして、「よぉし、明日は燐班の奴等を見返してやる!」と誓い合う。
これが海軍魂と言う奴だ。